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▽タグ一覧 たくっちスノー「釘を食えトリコ!!」 人生のフルコースとは版権作品「トリコ」に登場する用語である 作中に登場する「美味」を追い求める様々な人間が死ぬまでに決める、その人にとって最高のメニュー。 採用するのは当人が捕獲した食材である必要がある為、メニューに入れられている捕獲レベルからその人の実力を確認するバロメーターにもなっているという。 その他にもフルコースは、「美容にいい料理」「アルコールが含まれる食材」などでその人の趣味に合わせたもので構成されている者もおり、様々なバリエーションが存在する 原作において この作品は主人公トリコが小松と共に自身の人生のフルコースを作り上げるまでの話となっている。 トリコは打ち切られることなく無事にフルコースを完成させ、これまでの登場人物に振舞った。 『トリコのフルコース』 オードブルBBコーン捕獲レベル35 スープセンチュリースープ捕獲レベル不明 魚料理オウガイ ~遠い海の記憶~捕獲レベル不明 肉料理完象 -エンドマンモス-捕獲レベル不明 メインGOD捕獲レベル10000 サラダエア捕獲レベル6200 デザート虹の実捕獲レベル12 ドリンクビリオンバードの卵捕獲レベル1以下 メイドウィン小説において MNUにおいてもフルコースを作る文化はあり、時空を越えられることにより『人生のフルコース』の概念は時空の全てに行き渡っている 現在明らかになっているのは『時空犯罪者時代のたくっちスノー』のフルコースのみ。 たくっちスノーのフルコース 前菜 コゲタケ(レベル2) 生えて日が経つ事に焦げて臭くて苦くなっていくキノコ 生えたては松茸の500倍の価値があるという スープ 暴食ワニの体液(レベル563) どんなものでも食べるワニの胃液。 食べた物が溶けてまとまっており、出汁が効いてて意外と美味しい 魚料理 ブラックトパス(レベル16) 墨袋が五個もあるタコ。 たこ焼きにするとうまい。 肉料理 黒毛ルベロス(レベル3480) グルメ界に存在する双頭の怪物。 特に首周りが硬くて絶品。 メイン 半マガイモノ化鶏(レベル0) メインに悩んだたくっちスノーが成分をそこらのニワトリに与えたもの。 微妙に増殖するのでお得、唐揚げにすると1羽で100個くらいになる デザート 不幸のアップル(レベル3) 食べると不幸が訪れるという呪われたリンゴ。 ドリンク 魔女の気まぐれ(レベル9) 魔女が適当に作ったと言われるドリンク その味は実に1万以上で当たり外れが激しい 名前 コメント
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【名前】波江賀 集(はえが たかる) 【性別】男 【年齢】39歳 【職業】死刑囚 【特徴】眼球は半分飛び出し、歯は常にむき出しの怪物じみた人相 【好き】人肉 特にやわらかい肉 【嫌い】くさい人間 【特技】匂い当て 【趣味】食人 【詳細】 今までに80人以上の人間を食い殺し逮捕され、死刑が言い渡された男。 倫理や哲学などは一切持ち合わせず、ただ食人のみを人生の目的とする。 怪物のような面からは想像できないが、とても狡猾残忍で頭がいい。 逮捕されたときも、一瞬のすきをつき、警官の顔面を食らい警官たちを動揺に陥れ、 喰った警官から奪った拳銃で、助けようとした警官を3人射殺した。 怪力の持ち主で、人の首だったら簡単にへし折れる。 【備考】 人肉は柔らかい肉が好みだが腹が減っていたら臭そうなやつでもいい
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人生の敗者鷹師です 1stギルドの癒しの猫姫騎士団があっさり枠が埋まってしまったのでできたギルド。 GMはのど飴氏 ギルドが増えてきた為、GMが配信者じゃないので 人生の敗者鷹師ですは解散しました。
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各無産政党の本質と戦線統一の条件 山崎今朝彌 一、日本労農党方針書 一、序言 日本労農党の結党以来一ケ年の歳月は流れた。極左翼及右翼指導者の分裂主義を排して、階級的統一戦線の確立に向つて勇往邁進した過去一ケ年の苦闘史を願望する時、我等は無量の感慨を覚ゆるものである。この間同志の果敢なる闘争に依つて、我が党の基礎は確立し、今や外部に対して一大躍進をなすべき時機に際会してゐるのである。この際重ねて我が党の立場を宣明し、全無産大衆に対して階級的正道の炬火を揚げるのは我が党の誇りでありまた義務であると信ずる。 二、客観的条件の解剖 我が党は客観的条件の解剖に関して次の如く解する。 イ、世界資本主義の現勢 世界大戦後極度に動揺した欧洲の資本主義は、ブルジヨア階級の必死的努力に依つて辛くも一時の安定を得、その生産に於て、その経済的秩序に於て、稍戦前の状態に復することを得た。この欧洲資本主義の安定に伴つて、世界の資本主義もまた安定したかに見える。然し乍ら一度我等がかかる安定の背後を窺ふならば、それが不安定の安定であり、矛盾の再生産であることを認めざるを得ぬ。それは権力に依る安定であり、労農階級の抑圧と搾取、被圧迫民族の制圧と搾取に基づく所の安定であることを認めざるを得ない。 産業の合理化の名の下に苛虐なる労農階級の搾取と反動政策の上に資本の安定を樹立してゐる中欧諸国及び伊太利、没落して行く悲運を植民地の搾取に依つて繋ぎとめんとして、帝国主義的痙攣を漸く露骨にして来た英国、最も溌剌たる資本主義国家として中には労農階級に欺瞞と懐柔を培ひ、外には強大な資本力を擁して帝国主義的侵略政策に転ぜんとしつつある北米合衆国、帝国主義的侵略政策を資本安定の唯一の槓桿とし、内外政策を専らこの見地から割り出さんとしてゐる日本。これ等の帝国主義的諸国と、帝国主義諸国の制圧及び搾取から脱却せんとしつつある植民地及び半植民地と、社会主義的経済秩序を有する労農ロシアと、この三個の要素に依つて世界経済は織りなされていゐるのである。従つて世界の資本主義が自らの生命を持続せんが為には、 (一)国内に於ける労農階級を欺瞞懐柔するか、或はその反抗を決定的に抑圧することに依つて、言ひ換へれば、労農階級の犠牲に於てその利潤を維持しなければならぬ。 (二)植民地に於ける独立運動を抑圧し、半植民地に於ける民族運動を阻止しなければならぬ。 これが世界資本主義の唯一の安定策である。而して世界の帝国主義諸国の現になしつつあることもこれに外ならず、世界資本主義の過渡的安定は実にかかる条件の上に築かれたものである。 然らば我々が世界資本主義の安定を以て高々一時的の安定であるとし、不安の安定であり矛盾の再生産であると言ふ所以は何故であるか? (一)国内労農階級の犠牲に於ける資本の安定、所謂産業の合理化政策は、失業者の続出に依る人口の相対的過剰をもたらし、永きに渡つて労農階級の反抗を抑止することが出来ぬ。現に労農階級の新なる反抗の声は所在に挙りつつある。 (二)植民地及び半植民地の自覚に依る民族運動は漸く熾烈ならむとし、帝国主義諸国の搾取を排除せむとする機運は連りに動いてゐる。例へば印度の独立運動、支那に於ける打倒帝国主義運動の如きを見よ。而して世界の帝国主義諸国はこれ等植民地及び半植民地の独立運動を抑圧するに共通の利害を有すると共に、夫れ夫れ内部的の矛盾に依つて、これ等植民地及び半植民地の争奪に向つて相角逐せざるを得ない状態におかれてゐる。帝国主義的戦争の危険これである。 (三)労農ロシアに対して経済的政治的の封鎖を敢てしながら、世界経済の一環として労農ロシアを除外することが出来ない。これ英仏等の諸国が労農ロシアに対して国交の断絶を敢てしながら国際経済会議に労農ロシアの代表者を招き、国際軍縮会議に労農ロシアの代表者を加へざるを得ざる所以である。 世界の資本主義は、今かかる矛盾の上に立つた安定と小康とを保つてゐるのである。それがより大なる破壊の前の安定小康であり、矛盾の拡大されたる再生産であることは以上の事実に依つて明かである。かくして世界の資本主義が没落の一路を辿りつつあることは言ふを待たない。然し乍ら、一時的にもせよ資本の安定を見、戦後そのまま没落の急スロープを崩落しつつあるかに見えた資本主義がその陣営を建て直しつつあるの事実を勇敢に認める点に於て我等はかの極左分子と異り、この安定を以て恒久的と見ざるのみか、進んでこれを恒久化せむとする傾向と決定的に戦ひつつある点に於てかの極右と区別するのである。我等は、世界資本主義の安定への必死的努力に当面して、新なる抗争力を対抗すべき新戦術の必要を認むるものである。 ロ、日本資本主義の状勢 世界資本主義連鎖の一環として日本の資本主義も同じ運命を免れるものではない。殊に、貧弱なる自然資源を基礎とし、その誕生の日から帝国主義の揺籃に依つて育まれ、国家の輔導と侵略政策の上に辛うじて繁栄を築き来つた日本の資本主義は、今や、世界的没落の潮流に会して、絶えざる動揺を繰り返してゐる。大正九年の恐慌、大正十二年の震災後に於ける恐慌、昭和二年春に於ける金融恐慌と、それは言はば恐慌と動揺との連続である。これ等の恐慌を通じて資本の集中は急速に行はれ、産業の合理化政策に向つての躍進は目覚しいものがある。殊に過ぐる金融恐慌を機として、急劇に行はれた資本の集中独占は、三井三菱その他二三財閥に依る所謂金融寡頭政治の出現を見、一般無産大衆準無産大衆に対する抑圧と搾取とを露骨にせんとしつつある。 然し乍ら日本の資本主義は、一方に於ては斯くの如く高度に発達した資本の有機的構成を有すると共に、他方に於ては尚封建的の遺制を多分に存する農業国としての面目を保持し、全人口の約五割一分は農業に従事しつつあることを忘れてはならない。資本主義の最も発達した形態と、資本主義前期の形態とを内包し、然かも全体として世界的没落の潮流に合してゐると言ふのがその現勢である。厖大な中小市民階級層の存在とその窮乏化の傾向、農村に於ける人口の相対的過剰と貧窮化の傾向は、日本の資本主義が内包するかかる矛盾の表徴でなければならぬ。 然し乍らかかる矛盾は、金融寡頭支配を妨げるものでなくむしろ益々それを助長するものである。今金融寡頭支配を中心としてあらゆる階級層を見るならば、 一、金融寡頭支配に依る反動政治を支持する階級層 1、資本家階級 2、地主 二、浮動的階級層 1、中小市民階級 2、小地主、自作農 三、金融寡頭支配に依る反動政治に対して反抗する階級層 1、プロレタリア階級 2、小作農民及び農村プロレタリア とすることが出来る。金融寡頭支配にまで進出した日本の資本主義は、かかる背景の上に立つてその反動的産業合理化政策を行はんとしつつあるのである。 かくして日本の資本主義は、 (一)内に対しては益々労農階級の搾取にその基礎を固め反動的傾向を濃厚にせざるを得ない。賃銀の切り下げ、工場の閉鎖、失業の続出、立入禁止、立毛差押へ、あらゆる無産階級運動の制圧はそれが表はれである。今や資本の攻勢は政治的権力と結びついて益々露骨なる搾取を可能ならしめやうとしてゐる。 (二)外に対しては帝国主義的侵略政策の鋒鋩を尖鋭にし、それに依つて資本の安定を策せざるを得ないし、また現に策しつつある。満蒙政策、対支政策は愈々露骨に帝国主義的侵略的色彩を濃厚にして行くであらう。 (三)日本の資本主義はその発達の特殊性から労農無産階級に対してこれを欺瞞懐柔するに好餌を以てする丈けの余裕をすら有たない。唯それが唯一の的ひ所は、発達の特殊性から由来する階級意識不明確な農民層と小市民階級とを有することである。これ等巨大な階級層を反動政策の支柱として動員せんとするのが日本の資本家階級の乾坤一擲の壮挙でなければならぬ。かくして日本の資本主義の運命は、これ等の階級層の争奪を巡つて決定せらるものと言ふことが出来る。 以上の如き事由は自ら無産階級運動の任務を決定する。従来の労働組合農民組合の外に、あらゆる中小市民階級、中小農民層に呼びかけ、これを無産階級の同盟者たらしめる所の組織を有つこと、単なる無産大衆のみならず、これ等の準無産大衆の利害に対しても闘争する所の組織を有つこととかくして無産大衆準無産大衆の打つて一丸した力を以て金融寡頭支配に対抗する事これである。かかる要望の下に生れたのが我が国の無産政党でなければならない。然かもあまたの無産政党の中、我が日本労農党こそ、かかる要望の最も率直なる認識の下に生れた所の政党であると断言して憚らない。日本労農党はその運動方針を次の如く決定せんとするものであるが、要は、外資本の攻勢がもたらす矛盾を如何に誘導し、最も有力なる闘争を如何にして対抗すべきかにかかり、内巨大なる農民層及び小市民階級を獲得し、金融寡頭支配にまで進出したる我が資本主義が、尚発達の特殊性から唯一の支柱と頼むでゐるものを打倒せんとするに外ならない。 三、日本労農党の立場 日本労農党はその立場を要約して『階級的大衆統一党』と宣する。日本労農党は、その出現に当つてかく宣明した許りでなく、その行動に依つてかかる立場を実証しつつある。 (一)何故に階級的にならざるを得ざるか? ブルジヨア階級の必死的資本安定策に抗争し、世界を挙げての反動的潮流と戦ふ為には、労働者と農民を首盟とする階級的政党でなければならない。殊に労働貴族を欺瞞懐柔すべき好餌をすら有ち得ざるほどに急迫せる日本の資本家階級に対しては、階級的政党以外に対抗すべき力がない。自ら階級的平和主義を標榜し、階級協調主義の仮面に隠れて一時的の繁栄を僥倖せんとした社会民衆党すら、その大衆の闘争慾の成長に圧迫されて次第に抗争的ならざるを得ざる実情がこれを雄弁に物語つてゐる。日本の資本主義は、その発達の特殊性に依つて、専制的遺制の排除も、民主主義的勢力の確立も、金融寡頭支配に対する抗争と共に、挙げて無産政党の肩上に投げかけたのである。これ我等が階級的立場を厳守し、階級的立場に立つて抗争せんとする所以である。階級的立場を厳守する点に於て我が日本労農党は社会民衆党と裁然区別せられる。 (二)何故に大衆的ならざるを得ざるか? 所謂大衆的なる言葉の中には二個の意義あることを認める。一つは我が資本主義発達の特殊性より、尚大多数を占むる小売証人、下級官吏、俸給生活者、自作農、自作兼小作農党厖大なる中間階級、準無産階級を我等の伴侶たらしめ、これ等の集中的な力に依つて金融寡頭支配の政治的搾取に対して相抗争するの謂である。言ひ換へれば、無産階級の指導の下に、これ等中間階級分子、準プロレタリア層を動員することを主眼とする謂である。第二の意味は前衛分離主義、分裂主義よりの区別である。現在我が国に於て大衆が公然と要求しつつあるのは前衛政党ではない。また前衛政党ではあり得ない。それは金融寡頭支配に対して、民主主義的勢力の樹立を以て対抗し、この目標の下にプロレタリア準プロレタリア層の大衆を如実に動員することを目的とする政党でなければならぬ。我が日本労農党は、我が国の現状が要求してゐるかかる大衆的政党として、民主主義的勢力確立の為に抗争せんとするものである。それはプロレタリア、準プロレタリアを如実に動員して金融寡頭支配と抗争せんとするものである。この大衆主義と分離分裂主義との区別が我が日本労農党を労働農民党から区別する要点である。労働農民党の指導者は『大衆的』と言ふことを掲げてゐるが事実に於ては前衛分離主義、実践的分裂主義を採つてゐるのである。 (三)何故に統一的ならざるを得ざるか? 現在の資本の攻勢に対抗し、帝国主義的侵略政策を排除し、反動的暴圧に対して断々乎として戦ふ為には戦線の統一を実現しなければならない。これは全無産階級の要望であり、全民衆の切実なる叫びである。これ我等の戦線統一党を標榜する所以である。今や世界を挙げて統一戦線への要求は澎湃として漲りつつある。我等はこの時に当つて、一方に於いては協同戦線の美名の下に戦線の撹乱を企画しつつある労働農民党極左幹部を排除し、他方に於いては大右翼結成の名の下に分裂戦線を組織せんとする社会民衆党幹部を叩き伏せ、以つて統一政党主義の大旗の下に資本に対する単一戦線を樹立せねばならぬ。 (四)日本労農党は以上の立場を具体的に出現する為にまた行動派としての自らの立場を勇敢に宣明する。即ちそれは無産階級準無産階級の現実的利害の為に勇敢に闘争せんとするものである。日本の無産政党の任務が厖大なる中間階級、準無産階級分子の獲得を以てその使命とする以上、我々もまた、これを以て我々の使命とせざるを得ぬからである。而してそれ等の分子は、我々がそれ等の人々の日常的利害の為に勇敢に闘争することに依つてのみ獲得することが出来るからである。日本労農党は行動派でなければならぬ。また現に行動派である。 四、日本労農党の具体的政策 日本労農党の以上の如き立場は必然的にその具体的政策を決定する。日本労農党は具体的には次の如き政策を行はんとするものである。 (一)国内的 国内的には先づ民主主義的勢力の確立に向つて闘争せんとするものである。封建的専制的勢力の懐から政治的勢力をスリとつた日本の資本家階級は、民主々義的勢力の確立を無産政党の任務として課した許りでなく、これを拒否するべく金融寡頭支配を樹立してゐるからである。その意味に於て、我等の闘争もここから出発しなければならぬ。即ち政治的には封建的諸勢力軍国主義的諸施設の改廃を行ひ、団結、罷業、耕作、結社等の自由を獲得し、経済的には生産及び分配の合理化を以て産業の合理化政策と争ひ、社会的には社会的諸施設に対する無産階級の参与権の確立を期しようとするものである。 (イ)民主主義的勢力の確立の為に闘争しなければならぬ。徹底普選獲得の為の闘争、団結権、罷業権、耕作権、の確立に向つての闘争これである。 (ロ)産業の合理化政策に向つて闘争しなければならぬ。金融資本閥唯一の利潤政策である産業合理化政策に対して決定的に抗争しなければならぬ。八時間労働制の確立、失業者救済制度の確立、最低賃銀法の制定、健康保険法の改正、婦人労働者少年労働者の使用制限等に向つての闘争がこれである。 (ハ)金融寡頭支配の政治的搾取に対し断乎として抗争しなければならぬ。生活必需品の消費税及び関税の撤廃、無産階級準無産階級を誅求する租税の撤廃、累進的資本税相続税の設置等に向つての闘争がこれである。 (ニ)金融資本閥の農民懐柔策に抗争し、それがからくりを暴露しなければならぬ。自作農創定案に対する闘争、米価釣上げ政策に対する反対等これである。此等の対策は肥料、種子、農具の公営、耕作権の確立等でなければならぬ。 (ホ)反動的侵略的政策に対して絶えず抗争しなければならぬ。軍備の徹底的縮小軍国主義者的教育の反対、対支干渉の要求等これである。 (ヘ)俸給生活者階級の不平を代弁し、闘争的なインテリゲンチアをかかる分野に於て獲得せんとする。 (二)対植民地 植民地に対しては植民地の自治解放運動を声援し、植民地の差別撤廃に向つて断乎として抗争しなければならない。 (三)国際的 国際的に進出することは此等の運動をして効果あらしめる最緊要事である。然し我等はかのインターナシヨナルの名の下に政府資本家の国際的運動と妥協苟合するが如きは断乎として排斥しなければならぬのみならず我産業現下の、植民地運動の危機に際し、また帝国主義的戦争の危急を前にして、むしろ勇敢に国際的戦線の統一を提唱せんとするものである。これこそ現下の分裂せる戦線を統一し以て無産階級運動を国際的に強力ならしむる所以なりと信ずるからである。 五、結語 日本労農党は以上の如き認識に基き、以上の如き政策の下に、最も勇敢なる闘争を続けつつある唯一の無産政党である。我等はこの趣旨に従つて立党し、この趣旨に従つて進む。我等の指導精神はもとより客観的の状勢に応じて伸縮するものではあるが、一夜にして手を翻すが如き浮動的のものはない。我等はこの指導精神を生かすが為には、一死敢て辞せざるの決意を有するものである。日本の無産階級運動の過去の欠点は、一の指導精神を最後まで、戦ひぬくと云ふ徹底性の欠如でなければならぬ。我等は以上の指導精神を明確に掲げ、あらゆる事象を通じて最後まで戦ひ抜かんとするの決意をここに宣明するものである。 二、全無産政党統一に関する決議案 主文 一般大衆の要望に聞くも、限りなき支配階級の攻勢に見るも、全無産政党統一が我が国無産階級の目下の急務である。 一、階級戦線の分裂を目して、『必要にして正当』なりと公然と云ふものは労働農民党の極左翼幹部なる所謂福本主義者と、社会民衆党及び日本農民党の右翼幹部のみである。よつて全政党統一はこの極左翼及び右翼の分裂主義とその把持者及び追随者とともに一掃することによつてのみ可能となることを確認する。 一、吾党はかかる運動に好適せる地位を利用して、適当なる有ゆる議会に於いて、この大衆の要望と従つてまた吾党の立党精神=階級的大衆統一主義を実現すべく各党に統一を提議し、これを促進すべき階級的使命を有する。 一、全政党の具体的統一を初歩的にも最大限度に可能にする条件は宗派的分裂主義なる福本主義及び同主義者の排除であることを確認する。この統一条件は絶対的であり、また今日に於ける一般大衆の具体的統一条件の常識であると認める。 一、統一促進は、具体的統一の提議のみでなく、協同戦線の有力なる手段であることを認める。協同戦線はその定められたる原則に従ひ統一運動のために有弾力性的に扱はれねばばらぬ。 一、政党統一は四全国政党のみならず、地方無産政党をも含む。 理由 一、吾国階級線に現存する分裂状態は、階級運動本来の意味からしても甚だ悲しむべき現象であつて、これ等は過渡的現象として速かに克服されねばならぬ。過般の府県会選挙戦に於いて各党が組織せる宣伝によつて生長した大衆の政治的自覚と、限りなき支配階級の攻勢は、今や大衆をして熾烈に全政党統一を要求せしめてゐる。かかる大衆の要望を満足せしめずして放置せんか、それは大衆をして反動へ第一歩を始めしむるものであり、且又無政府主義者の政治否定、経済主義者の政治的中立及び政治的無関心へのよき温床を与ふるものである。かかる傾向は地方政党の組織と、既成全国組合に加入せざる独立組合の組織が近来盛んなるにも見ることが出来る。(信州に於いて労働農民党の脱退分子をも結合する信州大衆党の組織、東京市電協同会東京電燈従業員組合等の独立組合)更らに政党間の対立闘争は大衆をして政治中立と独立組合へ走らしめてゐる。(農民党支持の組合を脱せる新潟の農民組合) 一、階級戦線の分裂作為者が何人であるかについて相互に於いて責任を免れんとしてゐるは、尚ほ帝国主義戦争の主動者が何人であるかの論議と同一の観がある。しかし『戦争の目的を知らんとせば、その講和条約を見よ』であつて、今日の分裂状態を『正当にして必要なり』と、恥しらずにも主張するものは、労働農民党の極左幹部なる所謂福本主義者と、社会民衆党及び日本農民党の右翼幹部のみである。『両極相通ず』との古人の言語をあざむかざるに驚く。極左幹部は対立分離主義であり、彼等はその前に不断に自己の対立物を必要とするは、なほ淫婦が若き男を漁ると同様である。しかも対立物が欠除した場合には、自己分離を行つてその対立物を作出する。(婦人同盟の組織途上の如く)しかも厚顔なる彼等は左翼を仮面せんがために、大衆の要望を愚弄し名目的なる協同戦線、共同闘争(吾党への調願同盟の共同戦線を見よ)を云々一度これが形成ならんとするや対立物の消滅乃至は対立縮小の防止のために、これが破壊に専心する。(吾党より申込たる対支干渉運動の破壊を見よ!)故にこそ彼等が長くその背後の力と頼みし第三インターナシヨナルさへも、今や正当にも『実践的分裂主義宗派主義』の極印を彼等の面上に押捺するに到つた。(参考文書、『第三インターナシヨナルの福本派批判』参照)しかもその大衆の攻撃に面するや、これをゴマ化すためには如何なる恥知らずの転換をも行ひ、そこには大衆政党の党規の蹂躙をも物としない。(福本派幹部が労働農民党昨年度大会の決議せる吾党との合同に関する同党の決議を蹂躙して、今や卒然として合同の共同委員会を吾党に申込んで来たるを見よ) 右翼幹部は、左に対して右を結成し、以つて支配階級に分割支配の客観的条件を提供し、以つてその政策をあくまで遂行せしめ、その報酬として、官憲的圧迫の緩和、御用組合組織権を得、労働ブローカー的利権を恒久化せんとする卑劣なる所謂ダラカン根性である。(参考文書日労新聞切抜参照) この両分裂主義の理論としての克服、従つてそれに随伴すべきその把持と追随者との強力的排除が全政党統一の不可避的条件である。吾党は斯る意味に於いては、大衆がこの両者を絶滅するために大衆が組織せる力である。 一、労働農民党福本派幹部は大衆の圧迫とその内部の反対派の圧状のために、同党大会を前にして卒然として政党統一を提唱して来た。しかしこのことは同党の地位、その指導精神福本主義に対する全大衆の批判からしても、如何に彼等が具体的統一に誠意と熱意なきかを物語るものだ。即ち彼等は不成立を予想し、それを希望して提唱したのだ。彼等の慾求するのは、統一そのものでなく、統一の提唱といふ名義である? 全政党の具体的統一を考慮するときに、吾等の諸党間に位する地の利は最もかかる計画の執行者に適してをり、且つ吾等の立党精神-階級的大衆統一主義こそは、一般大衆の要望を具現するものである。見よ! 吾党の旗-階級的大衆統一主義の旗は今や大衆の旗として燦として光り輝いてゐるではないか! 吾党はこの旗の下に大衆を糾合し、その要望を統一しその地の利を利用して全政党統一のための階級的使命を遂行せねばならぬ。 一、全政党統一の具体的条件は、全政党の配列を見るも、合法的単一政党の性質に於いて見るも、かの宗派的分裂主義とその一派の排除である。それは既にして大衆の具体的統一条件の常識である。殊に大衆の今日に於ける彼等に対する熾烈なる反対に於いてをや!(労働農民党内にさへ反対派があり、それは生長しつつある!)社会民衆党及び日本農民党は更らに多くの条件を要求するかもしれぬ。しかし吾党はこれを単一絶対条件として固執せねばならぬ。 福本一派を構成要素から除外することは純一主義と矛盾するといふか? 否さうではない。福本主義は戦術でなく思想である。この思想は且つての大杉派の無政府主義の思想と同一程度に大衆の一部に対し、伝染病的影響を与へた。大衆をして『戦ひとつたる』かかる病的思想を『戦ひ失はしめ』て健康を恢復せしめる最捷径はかかる病原伝播者及び媒介者の一斉没落にその第一歩がある。吾々は看板塗かへによつて彼等を許すことは出来ない。彼等はよしとしても大衆の疾病をどうする。かかる発源集団を将来に持込むことは、今日までの混乱を将来に於いてもまた再生産することである。 社会民衆党、日本農民党の所謂ダラ幹排除を条件づけないのは、彼等に屈服するのか、断じて否? 吾党は何人よりも彼のダラカン的分裂主義をにくむ。しかし右翼団体に統一を要求するに際し、無条件にても拒否し兼ねまじき彼等にいよいよ拒否の口実を与へるものであり、かかる統一を欲せざる福本主義の対立萬能思想に感染せる考へ方である。統一を通じてのみ、しかも彼等の大衆に伍して、吾等の犠牲的行動を通じてのみ、ダラ幹を最後的に克服し得るであらう。この行動を通ずるの一点は吾党の闘争規模を福本主義のそれと区別する差異である。 一、統一獲得の有効なる武器として協同戦線がある。吾々は党の規定せる協同戦線の原則に従ひ、行動を通じて他団体の大衆を統一にまで牽引するであらう。 一、大衆の要望従つてまた吾党の立党精神-階級的大衆統一主義は、吾国支配階級に対する単一階級戦線としての合法的単一政党の結成にある。統一は故に四全国無産政党のみならず、諸地方無産政党をも当然に含まねばならぬ。諸地方無産政党の存在理由は四無産政党統一によつて半ば失はれるであらう。吾党は有ゆる機会に於いて諸地方政党に対し全無産政党統一に誘引せねばならぬ。 (以上は皆十一月二十七、八、九日の日本労農党全国大会に提出可決された中央執行委員会案である-筆者) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(解放社)第7巻1号7頁(昭和3年(1928年)1月1日発行)>
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#blognavi 本質そのものは同じなのに、 使い方が違うもの キャベツ きって食べる。 →安い きったものを食べる。→便利 ナイフ 料理 殺人 うちではどうか? 胡蝶蘭をうる 健常者でうる 営業活動 障害者でうる 社会貢献 コンピュータ教育 社会人にする 営業活動 子供にする 社会貢献 カテゴリ [idea] - trackback- 2007年01月26日 09 24 51 #blognavi
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★紹介 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 赤髪で長髪の和服の剣士。趣味は読書。雑多になんでも読む。 (深夜バスの中で読んでいたのは「ジョジョの奇妙な冒険」であった) 好きなものは鳥の鳴き声、嫌いなものは混雑した所。 剣の腕は一級品。 普段は人里離れた山で住んでおり、山で採れた品などをたまに町に降りてきて売り生活している。 山で生まれてそこで育ったため、最低限コミュニケーションはとれるが人と話すのは苦手。 (人と話すと疲れるので持ち歩いてる数学のパズルなどで気分転換をするらしい) 剣の道を究めることが人生の目的だと思っているが、なぜそう思うのかは自分でもわかっていない。 そんな彼が何故BBNに入ったのかであるが、 本人は周りに話そうとしないため謎に包まれている。
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ICRPの2007年勧告:index 2.勧告の目的と適用範囲」 2.勧告の目的と適用範囲」2.1.勧告の目的 2.2.防護体系の基礎と構成 2.3.勧告の適用範囲 2.4.除外及び免除 2.5. 参考文献 2.1.勧告の目的 (26) 本委員会勧告の主な目的は,被ばくに関連する可能性のある人の望ましい活動を過度に制限することなく,放射線被ばくの有害な影響に対する人と環境の適切なレベルでの防護に貢献することである。 (27) この目的は,単に放射線被ばくとその健康影響に関する科学的知識に基づくだけでは達成できない。それには放射線に対して人と環境を防護するためのモデルが必要である。この勧告は,科学的知識と専門家の判断に基づいている。放射線被ばくに起因する健康リスクに関連した科学的データのようなデータは,必要な前提条件であるが,防護の社会的・経済的側面も考慮しなければならない。放射線防護に関連する人々はすべて,いろいろな種類のリスクの相対的な重要性について,またリスクと便益のバランスをとることについて価値判断をしなければならない。この点において,放射線防護は,危険の管理に関する他の分野と異ならない。科学的推定と価値判断の基礎及びそれらの間の区別は,どのように決定がなされたかの透明性を高め,かくして決定への理解を増すために,可能であればいつでも明らかにすべきである,と委員会は信ずる。 (28)放射線防護は,2つのタイプの有害な影響を扱う。高線量は多くの場合急性の性質を持つ確定的影響(有害な組織反応,3章参照)の原因となり,それはあるしきい値を超えた場合にのみ起こる。高線量と低線量はどちらも確率的影響(がん又は遺伝性影響)の原因となることがあり,その確率的影響は被ばくから長期間の後に起こるこれらの影響の発生率の統計的に検出可能な増加として観察される。 (29)委員会の放射線防護体系は,第1に人の健康を防護することを目的としている。その健康のための目的は比較的単純である。すなわち,電離放射線による被ばくを管理し,制御すること,その結果,確定的影響を防止し,確率的影響のリスクを合理的に達成できる程度に減少させることである。 (30) 一方,"環境防護"の単純あるいは1つの普遍的な定義はなく,その概念は国ごとに異なり,また事情によって異なる。したがって,放射線の影響を考察する他の方法は,人以外の種に対してより有用であることを証明することである可能性が高い。例えば,早期の死亡,又は罹病率あるいは繁殖成功率の低下のような影響である。委員会の目的は,現在,生物多様性の維持,種の保全,又は自然の生息環境,群集及び生態系の健康と状態についてインパクトが無視できるレベルになるように,有害な放射線影響の発生を防止又は頻度を低減することである。しかし,この目的の達成において,放射線被ばくは考慮すべき1つの因子にすぎないこと,多くの場合小さい因子であることを,委員会は認識している。委員会は,そのアプローチがリスクのレベルに見合っていること,及び,他の人間活動のインパクトから環境を防護するためになされる努力と両立することを確実にするために,ガイダンスと助言を与えるであろう。 2.2.防護体系の基礎と構成 (31) 放射線被ばく状況は様々であり,また幅広い適用範囲にわたって一貫性を達成する必要があるため,委員会は,防護に対し実行可能で,かつ体系的なアプローチを促進することを目的とした,正式な放射線防護体系を確立した。この体系は多数の被ばく源を取り扱わなければならないが,それらの被ばく源の一部は既に存在し,また他の一部は社会により選択されたものとして,あるいは緊急事態の結果として,意図的に導入されることがある。これらの被ばく源は,様々な相互に関連する事象や状況のネットワークにより,現在及び将来の両方において,個人,グループ,又は集団全体の被ばくにつながっている。この防護体系は,このような複雑なネットワークを1つの論理的構造により取り扱うことができるように策定された。 (32) 人の防護体系は,a)放射線量評価のための人の解剖学的及び生理学的な標準モデル,b)分子及び細胞レベルでの研究,c)動物実験を用いた研究,そしてd)疫学的研究の利用に基づいている。モデルを使用することにより,作業者,患者及び公衆の内部被ばくに対しては様々な放射性核種の預託された"単位摂取量当たりの線量",また外部被ばくに対しては"単位空気カーマ又は単位フルエンス当たりの線量"に関する標準化された集計データが導かれた。疫学的研究と実験的研究により,外部被ばく及び内部被ばくに関連するリスクの推定が行われた。生物学的影響に関しては,データは,実験生物学により裏付けられた人での経験によってもたらされた。がん及び遺伝性影響に関しては,委員会の出発点は,疫学的研究と,動物及び人の遺伝学に関する研究の結果である。放射線防護において問題となる低線量におけるリスク推定値を提供するために,これらの研究結果は,発がん及び遺伝のメカニズムに関する実験的研究からの情報で補完されている。 (33) 組織加重係数の値と損害の推定値に関わる不確実性を考慮して,委員会は,年齢と性について平均化された組織加重係数とリスク推定値を利用することが,放射線防護の目的に適切であると考える。この防護体系は,両性に関し適切な防護を達成するために十分堅固である。更に,この体系は,不必要に差別的になりうる性別と年齢別の放射線防護規準の要件を避けている。しかし,疫学的研究のような放射線関連リスクの遡及的評価の目的に対しては,性別と年齢別のデータを使用し,性別と年齢別のリスクを計算することが適切である。損害を計算するための委員会の方法の詳細は,付属書AとBで論じられている。 (34) 委員会のリスク推定値は,それが代表的な年齢分布を持つ女性と男性の名目集団の被ばくに関連していること,また年齢グループと両性にわたって平均化して計算されていることから,"名目"と呼ばれる。放射線防護の目的で勧告されている線量計測量である実効線量もまた年齢と性について平均化することによって計算されている。実効線量を評価するための名目係数の定義には,本質的に多くの不確実性が存在する。致死率と損害係数の推定は,放射線防護の目的に関しては適切であるが,疫学から導出されている全ての推定値がそうであるように,名目リスク係数は特定の個人には適用されない。ある個人又はある既知の集団の被ばくによって起こり得る影響を推定するためには,被ばくした個人に関する特定のデータを用いる必要がある。 (35)委員会が既に勧告したように(ICRP,1999a),関連する臓器における確定的影響のしきい線量が超過する可能性のある状況は,ほとんどいかなる事情の下においても防護対策の対象とすべきである。特に長期的な被ばくを伴う状況においては,確定的影響に関するしきい値の現行の推定値における不確実性を考慮することが賢明である。その結果,100mSv近くまで年線量が増加したら,ほとんどいつでも防護対策の導入が正当化されるであろう。 (36) 年間およそ100mSvを下回るの放射線量において,委員会は,確率的影響の発生の増加は低い確率であり,またバックグラウンド線量を超えた放射線量の増加に比例すると仮定する。委員会は,このいわゆる直線しきい値なし(LNT)のモデルが,放射線被ばくのリスクを管理する最も良い実用的なアプローチであり,"予防原則"(UNESCO,2005)にふさわしいと考える。委員会は,このLNTモデルが,引き続き,低線量・低線量率での放射線防護についての慎重な基礎であると考える(ICRP,2005d)。 (37)単一のクラスの被ばくの中であっても,個人はいくつもの線源に被ばくしていることがあり,被ばく量全体の評価を試みなければならない。この評価を"個人関連の"評価と呼ぶ。1つの線源又は複数の線源のグループに被ばくしたすべての個人の被ばくも考慮する必要がある。この手順を"線源関連の"評価と呼ぶ。ある線源からの個人の防護を確実にするためには,その線源に対して対策を講じることができるから,線源関連評価が最も重要であることを委員会は強調する。 (38)確率的影響の確率的な本質及びLNTモデルの特性が,"安全"と"危険"を明確に区別することを不可能にしており,このことが放射線リスクの管理の説明を幾分難しくしている。LNTモデルの方針上の主な意味合いは,どんなに小さくてもある有限のリスクを仮定し,容認できると考えられることに基づいて防護レベルを確立しなければならないということである。これが,次の3つの防護の基本原則を持つ委員会の防護体系につながっている ●正当化 ●防護の最適化 ●線量限度の適用 これらの原則については5.6節でより詳細に論ずる。 (39) 電離放射線の有害な影響から個人を防護する際,たとえ何が線源であろうとも,重要なのは放射線量の管理(制限という意味での)である。 (40) 放射線防護体系の主要な構成要素は,以下のように要約することができる。 ●放射線被ばくが生じるかもしれない状況の特徴付け(計画被ばく状況,緊急時被ばく状況, 及び現存被ばく状況)。 ●被ばくのタイプの区分(起こることが確実な被ばくと潜在被ばく,更に職業被ばく,患者の 医療被ばく,及び公衆の被ばく)。 ●被ばくした個人の同定(作業者,患者,及び公衆の構成員)。 ●評価の種類のカテゴリー化,すなわち線源関連と個人関連。 ●防護原則の正確な記述 正当化,防護の最適化,線量限度の適用。 ●防護対策又は評価を必要とする個人線量のレベルの記述(線量限度,線量拘束値及び参考レベル)。 ●線源のセキュリティ及び緊急時への備えと対応のための要件を含む,放射線源の安全のための条件の明確な説明。 (41) 本勧告の中に記述され,上記に要約された放射線防護体系の履行は,監視され,かつ評価されるべきである。また,経験から学ぶこと及び改善の範囲を確認することを目的として,定期的に見直すことが重要である。 (42) 委員会は本勧告の中で,線源関連の防護において同じ概念のアプローチを使用し,また線源のタイプ,被ばく状況,又は被ばくした個人にかかわらず防護の最適化を強調している。防護の最適化の中で,線量又はリスクにおける線源関連の制限が適用されている。原則として,そのような制限のレベルを超える線量を意味する防護の選択肢は排除すべきである。これまで委員会は,行為についてのこれらの制限に対して"拘束値"という用語を使用してきた。委員会は一貫性を維持するという理由で,計画被ばく状況に関しては引き続きこの用語を使用するが,これは計画被ばく状況が通常の行為の実施を含んでいるからである。しかし,委員会は,"拘束値"という言葉が多くの言語では厳格な限度として解釈されていると認識している。そのような意味は,拘束値の適用は地域の事情に依存せざるを得ないので,決して委員会の意図するところではなかった。 (43) 防護対策のレベルは,委員会の勧告全般(表8,6.5節参照)又は最良事例などに含まれる包括的な考察に基づいて選定されることがある。何らかの特定の事情が重なった場合,特に緊急時被ばく状況又は現存被ばく状況においては,包括的な考察から選定された防護のレベルをすぐ満足できるような実行可能な防護選択肢がないケースがありうるかもしれない。したがって,拘束値を限度の1つのかたちとして厳密に解釈すると,最適化のプロセスの結果を深刻かつ悪い方向にゆがめてしまうことがあるかもしれない。この理由から,委員会は,緊急時被ばく状況又は現存被ばく状況において,これを上回る被ばくが起きることを許す計画の策定は不適切であると判断され,またそれ以下では防護の最適化を履行すべきであるような線量又はリスクについての制限のため"参考レベル"という用語を用いることを提案する。しかし委員会は,計画被ばく状況とその他の2つの被ばく状況の間の名称の相違は,防護体系の適用において何ら基本的な相違を意味しないということを強調したい。計画被ばく状況,緊急時被ばく状況,及び現存被ばく状況における最適化の原則の適用に関する更なるガイダンスは,6章に提供されている。 2.3.勧告の適用範囲 (44)委員会の放射線防護体系は,その大きさと起源にかかわりなく,あらゆる線源からのすべての放射線被ばくに適用される。"放射線"という用語は電離放射線を意味するために用いられている。委員会は一般的な意味での"放射線被ばく"(又は略して"被ばく")という用語を,放射線又は放射性核種に被ばくするプロセスという意味で用いてきており,被ばくの重大さは,その結果として生じる放射線量によって決まる(ICRP,1991b)。"線源"という用語は,被ばくの原因を示すために用いられ,必ずしも物理的な放射線源ではない(5.1節を参照)。一般に,勧告を適用する目的に対しては,線源とは,1つのまとまった全体として,それに対して放射線防護が最適化できる実体である。 (45)委員会は,勧告をできる限り広く,かつ首尾一貫して適用できるように目指してきた。特に,委員会の勧告は自然線源と人工線源の両方の被ばくを取り扱っている。勧告は,被ばくの源か又は個人が受けた線量を生じる被ばく経路のどちらかを,ある合理的な手段で制御できる状況にのみ全体的に適用できる。そのような状況における線源を,制御可能な線源という。 (46)線源は多数ある可能性があり,ある個人は複数の線源からの放射線に被ばくするかもしれない。線量が確定的影響(有害な組織反応)のしきい値より下であるとすると,その状況に起因する追加線量とそれに応じた確率的影響の確率の増加との間の想定される比例関係によって,全被ばくの各成分を独立に扱い,放射線防護にとって重要な成分を選択することが可能となる。更に,これらの成分を様々な目的に関連したグループに再分割することが可能である。 注 「行為」と「介入」 (47) これまで委員会は,線量を加える行為と線量を減らす介入とを区別していた(ICRP,1991b)。委員会は,今回,放射線被ばくが計画被ばく状況,緊急時被ばく状況及び現存被ばく状況として発生することがある状況を特徴付けるために,状況に基づいたアプローチを用いる;つまり委員会は,1組の基本的な防護原則をこれらのすべての状況に適用する(5.6節参照)。 (48) しかし"行為"という用語は放射線防護において広く使用されるようになっている。委員会は,今後もこの用語を,放射線被ばくあるいは放射線被ばくのリスクの増加を生じさせる活動を意味する用語として引き続き使用するであろう。 (49)行為は,企業,取引,産業,又はその他の生産的な活動,というような活動でありうる。それはまた,政府の事業や慈善事業でもありうる。行為の概念には,その行為が導入しあるいは維持している放射線源が,その線源への対策により直接に制御できることが暗に含まれている。 (50) "介入"という用語も放射線防護において広く使用されるようになり,被ばくを低減するために対策が講じられるような状況を記述するために国及び国際的な基準に組み入れられてきた。委員会は,この用語の使用を,被ばくを低減する防護"対策"の記述に限定し,一方で,"緊急時被ばく"又は"現存被ばく"という用語を,被ばくを低減するためにそのような防護対策を必要とする放射線の被ばく状況を記述するために使用することがより適切であると信じる。 2.4.除外及び免除 (51) 委員会勧告があらゆるレベルとタイプの放射線被ばくに関わっているという事実は,その適用のために法体系又は規制体系を確立する際に,すべての被ばく,すべての線源,及びすべての人間の行動を同じように考慮することが可能あるいは必要であることを意味していない。むしろ,ある特定の線源又は被ばく状況を規制する上での管理へのなじみやすさ,及びその線源又は状況に関連する被ばく/リスクのレベルに応じて,段階的な責任の負担を予測しなければならない。 (52) 放射線防護管理の範囲を区別する2つの明確な概念が存在する。すなわち,(i)規制手段で制御することになじまない(規制できない)という根拠に通常基づいた,特定の被ばく状況の放射線防護の法規制からの"除外",及び(ii)多くの場合制御のための努力が関連するリスクに比べて大きすぎる(規制の必要がない)と判断されるという根拠で,そのような管理が是認されないとみなされるような状況に対する,一部又はすべての放射線防護の規制要件からの"免除"である。放射線防護に関する法体系は,第1に,法体系の範囲内に含めるべきものと,法体系の範囲外とし,したがって法律とその規則から除外すべきものを定めるべきである。第2に,法体系は,規制対策が不当であるという理由で,一部又はすべての規制要件から免除すべきものを定めるべきである。この目的のため,法的枠組みは,規制当局がある被ばく状況を,特定の規制要件,特に届出及び認可,あるいは被ばく評価と検査などの行政的な性質を持つ規制要件から免除することを許すべきである。除外は管理体系の適用範囲を定めることと強く関連しているが,適用範囲を決める1つの仕組みにすぎないので,十分ではないかもしれない。一方,免除は,ある線源又は行為を規制管理の一部又はすべてに従う必要はないと決定する規制当局の権限に関係している。除外と免除の区別は絶対的なものではない;各国の規制当局は,特定の線源又は状況を免除あるいは除外するかどうかについて,異なる決定を下すかもしれない。 (53)放射線防護法令から除外できるかもしれない被ばくには,制御できない被ばくと,その大きさにかかわらず本質的に制御することになじまない被ばくが含まれる。制御できない被ばくとは,体内に取り込まれた放射性核種のカリウム40による被ばくのような,いかなる考え得る事情の下でも規制対策で制限できない被ばくである。制御になじまない被ばくとは,地表面における宇宙線による被ばくのように,制御が明らかに実際的でない被ばくである。どの被ばくが制御になじまないかの決定には立法者の判断が必要であり,その判断は文化的な感じ方に影響されることがある。例えば,自然起源の放射性物質による被ばくの規制に対する態度は国により極めて多様である。 (54) 除外と免除に関する更なるガイダンスは,Publication 104(ICRP,2007a)に提供されている。 2.5. 参考文献 ICRP, 1991b. The 1990 Recommendations of the International Commission on Radiological Protection. ICRP Publlcation 60. Ann.1CRP 21(1-3). ICRP, 1999a. Protection of the public in situations of prolonged radiation exposure. ICRP Publicadon 82. Ann. ICRP 29(1-2). ICRP, 2005d. Low dose extrapolation of radiation-related cancer risk. ICRP Publication 99. Ann. ICRP 35(4). ICRP, 2007a. Scope of radiological protection control measures. ICRP Publication 104. Ann. ICRP 37(5). UNESCO, 2005. The Precautionary Principle. United Nations Educational, Scientific and Cultura1 Organization, Paris, France. lCRP ICRPの2007年勧告:index
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{教育実践のための評価} 成績表のような制度的な評価が可能であるかどうかは別として、教育という行為は、「評価の連続』である。制度としての評価は、特定の機会にしか行われないとしても、評価という行為は、日々刻々と行われている。正しい評価抜きに、正しい教育は行えない。そういう意味では教育にとって「評価」は不可欠である。 教育や学習は、現在の状態を正確に把握し、課題を設定した上で、教育・学習内容に取り組み、そして、到達できたかどうかを把握する必要がある。このように、教育の出発と到達の段階で、評価が必要となり、次の段階に進んでいくわけである。(このような一連の評価を「診断的評価」「形成的評価」「総括的評価」と呼ぶことがある。) 社会が次第に高度になっていく場合、前の時代の人よりも、同じことをするにしても、効率良く習得する必要がある。従って、蓄積されたメソッドを、正しい評価をしながら達成していくことが望ましい。このためにも、評価は重要である。 教師の一日を想像してみよう。 朝、クラスのホームルームに出かけた。そこで生徒たちの様子をみて、誰か問題はないか、健康上、あるいはストレス等でイライラしている等、チェックをするだろう。もちろん、生徒の様子をみて、何か普段と異なるものがあるか判断できる力が、教師になければならないし、また、その対応力も必要だろう。 授業が開始されば、今日の単元に入る前に、前回の授業内容が理解できているのか、前回の授業終了時と、今の様子からみて判断し、まだ理解が不十分であれば、必要な復習を短い時間で行なう必要があるし、十分理解しているとみれば、今日の単元にすぐに入ることができる。授業を行なっているときには、自分の説明が生徒に届いているか、生徒は理解しているか、理解できていない生徒はいないか、授業を聞いていない生徒はいないか、等々絶えず確認しながら、授業を進めていかねばならない。分かりきったことをやっていれば、生徒は退屈するから、先に進めるし、また、わからない部分があったら、繰り返す。また、ときどき生徒自身の自己理解のためにも、小テストなどを実施して、理解の確認をする。 授業が終わったら、何か問題がありそうな子どもと、話すきっかけをつくり(もちろん、呼んでも構わないだろうが。)、問題が本当にあれば、相談しつつ、解決策を探る。 一日の授業が終われば、現在の理解を確認しつつ、次の授業の準備をする。 こうした教師の実践は、絶えず「評価」と結びついており、そのときそのときの評価が適切であり、その対処が適切であれば、それだけ実践は順調に進行する。しかし、生徒の間にある問題を把握できなかったり、また、授業内容の理解度について、教師自身が的確に把握していなければ、いじめが進行したり、あるいは子どもたちがわからないままになってしまう。 もちろん、このようなことは、授業に限らないし、また教師にも限らない。学生諸君も部活をやっていれば、日々評価をしつつ、練習を繰り返しているに違いない。自分の練習は当然のこととして、後輩を教える存在になれば、評価の重要性は嫌でも意識せざるをえないだろう。 {選抜のための評価} ところが、評価は、こうした教育目的だけではなく、まったく異なる目的から利用される。的確な人材を選抜するためである。知能テストが、第一次大戦参戦の際に、アメリカ軍の編成のために利用されたことを見たが、評価一般が、現代社会では、人材選抜に大々的に利用されている。しかも、学校教育での評価を社会が受け入れ時に、重要な要素として参照する。もっとも、アメリカ社会のように、大学や高校の成績を直接評価として受け取る場合と異なって、日本の場合は、大学や高校の「偏差値」という「入り口」の社会的評価によって生徒や学生の能力を判定する傾向がこれまで強かった。少子化を経て、このような「入り口」評価が、大学や高校での修得を重視する「出口」評価に変化していくかは、まだ明確ではないが、これまでのような入り口評価でほとんどを評価するようなやり方は少しずつなくなっていくだろう。 人間は分業によって社会を成立させている。一人の人間がすべてのことを行うことはできない。又、何かを行う場合、組織を作っている。従って、組織の人員を選ぶ、また、選ばれた人をある部署に配置する、こういう時に、選抜行為は不可欠である。適切な人を適切な場に配置することが、組織の成功に必要だから、選抜とは極めて重要な行為なのである。事実、企業での人事部、教育組織での入試等は、もっとも重要な業務の一つになっている。 このように、評価は、教育や社会にとって、必須のものであるが、しかし、使用を誤れば大きな不幸をもたらす。教育の際の評価を間違えれば、教育的な効果があがらない。 選抜に使われた評価が、正しくなければ、組織がうまく機能しなくなるだろう。 また、結果が個人にとって不本意であれば、その人にとって、大きな不幸をもたらす可能性もある。「お受験殺人」は記憶に新しいが、以前は受験シーズンには、かならず何人かの自殺者がでたものである。 さて、教育的な目的で行う評価については、おそらく誰もがその意義を認めるだろうが、選抜に資料を提供するような評価を、学校教育が行うべきであるのかについては、意見が分かれる。 日常的な教育実践の中でも、選抜のための評価は多数存在する。学級編成、特に習熟度別学級編成をしているときには、評価は正確さを必要とする。演劇の配役決め、班の編成、合奏や合唱でのパート決め、学級の委員等々、集団を対象とした教育活動では、選抜機能は不可欠である。このような選抜は、単に「能力」の評価だけではなく、性格の評価や人間関係の評価も考慮しないと、選抜した結果が悪くなる危険性がある。また、選抜された結果について、生徒の合意・納得が形成されているかも、評価自体とともに重要な要素であろう。
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http //mainichi.jp/area/okinawa/news/20100331rky00m040005000c.html 集団自決記述:「沖縄戦 本質伝わらず」 評価半面「軍省き」指摘 来春から使われる小6の社会科教科書で沖縄戦関連の記述が増えることに、研究者や沖縄戦体験者からは評価の声が上がる一方、「集団自決」をめぐる記述に軍関与が触れられていないことについて「沖縄戦の本質が伝わらない」との指摘が相次いだ。小学生という発達段階を踏まえ、限られた授業時間で沖縄戦の実相を次世代に伝えるには今後も、現場の教員たちの工夫が必要だ。 高嶋伸欣琉球大学名誉教授は「住民を集団自決に追い込んだ主語として、日本軍の記述がないのが気になるが、取り扱う教科書が増えたことは、軍関与の記述回復を訴えてきた市民運動の成果だ」と強調した。その上で「『住民を追い込んだのは誰か』を全国の教師が教えられるよう、今後も沖縄から繰り返し訴え続ける必要がある」と語った。 山口剛史同大准教授は、記述が増えたことは評価しながらも「住民が戦闘にどう巻き込まれ、犠牲になっていったかは触れられていない。軍の関与を削除させた文科省の検定意見の枠組みの中での表現にとどまっている」と指摘する。「小学生の発達段階は踏まえないといけないが、住民を守るべきはずの日本軍によって多くの住民が生きる選択肢を奪われたという事実が、最も伝えるべき沖縄戦の教訓だ」と強調した。 座間味島で「集団自決」を体験した宮城恒彦さん(76)=豊見城市=は記述が増えたことを歓迎しながらも「主語を省いてしまっては沖縄戦の本質は伝わらない。教員は教科書をそのまま教えるのではなく、集団自決の実相を教える努力が必要だ」と求めた。 対馬丸事件については、東京書籍が「戦争の犠牲になった子どもたち」と題し1ページの特集を組み、光村図書出版は全国の「学童疎開」について扱ったページの一部にコーナーを設けた。対馬丸記念会の高良政勝会長は「自分と同じ世代の何の罪もない子どもたちが国策のもとに疎開させられ犠牲になる戦争の悲惨な実態を、全国の子どもたちに知ってもらうきっかけになった」と評価した。 ◆「集団自決」(強制集団死)に関する記述 [現行] 【東京書籍】 沖縄では、住民の多くが戦争に協力しました。アメリカ軍のこうげきで追いつめられた住民の中には、集団で自決するなど、ひさんな事態が生じました ↓ ↓ [新] 【東京書籍】 住民の多くが戦争に巻き込まれ、アメリカ軍の攻撃で追いつめられた住民のなかには、集団で自決するなど、悲惨な事態が生じました 【教育出版】 沖縄では、アメリカ軍の攻撃に追いつめられて、多くの住民が集団で死に追いこまれるできごとが起こりました 【日本文教出版】 子どもや女性、高齢者の住民までもが戦争に総動員され、戦闘に巻きこまれました。そのため、追いつめられた住民のなかには、集団自決した人も多数いました (琉球新報) 2010年3月31日 沖縄戦ニュース
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この仕様書の目的 この仕様書はメータゲームの画面構成について記述する どんなUIやHUDの配置にするのか詳しく記述していく